思考にふわふわ漂うもの 22_7月創刊号
日付で分ける。見やすいから。
長文多め。
コメント残してくれると多分、発狂して喜ぶ。
じゃあコメントしちゃお あおちゃすき❤ななし.icon
やったー!!!ななしさんすき!蒼.icon(テンション爆上がりしたひと)
𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬______
いいのお~!?では私も同行しよう!(流れ始める𝕃𝕠𝕧𝕖 𝕤𝕠 𝕤𝕨𝕖𝕖𝕥)
👍(溶鉱炉に沈む←古い)
2022/07/31
寝落ちしたひとの寝息を聞きながら書いてる。
ぼくは1,2回しか通話で寝落ちしたことがないのだけれど、あれって、どうなんだろうなあ。
たとえば、起きたとき、それは心地いのかな。それとも焦るのかな。もしかして、悲しんだりして。まさか、なんにも思わないなんてことはいよね?
ねおちされると、寂しくて悲しいけれど、すこし安心する。
だって…ひとって、ほんとうに警戒している相手との通話で、寝れるわけないでしょ?
これは、僕がひとの本心を確かめることのできる数少ない方法のひとつだ。
ひとの本心。そう、本心。
わたしにはそれがわからない。
ぼくには誰も彼も何重にも嘘をついていて、本心を覆い隠していて、本心で思っていることを伝えるときにすら、着飾って隠して「本心を嘘で伝えている」ように思われるのだ。
みんな、そう感じないのかもしれない。みんな、そう感じていながら、それを知っていながら、納得して、それを使いこなして、生きているのかもしれない。でも私にはそれが耐えられない!
誰も、わからない。不安定。心の底が見えない。
そうやって悩み苦しみ私がたどり着いたのは、自己犠牲と依存でした。
私が人間のすることでいちばん美しいと思っていることは、自己犠牲です。
なぜなら、それは、ひとの本心だから。
人間が、自分の本能も欲望も抑えつけ、他人のために自己が傷つき死ぬのも厭わず奉仕する──ああ、どうして、本心でなくこんなことができるでしょう?
ある一種の狂気、そんな、自己犠牲が、わたしにはとてもとてもとてもうつくしくみえるのです。
依存は、その逆。
自身の欲望の奴隷となり、苦しみながら、それでも離れられずにいる。
欲望。それも、本心です。
言葉がうまく出てこないのでとりあえずここまで。
2022/07/29
三者面談の帰りに写真を撮った。
撮った写真を見返して、いろいろ想像するのは楽しい。
公園にも寄って5分ぐらい瞑想をした。制服で公園のベンチに座ってひたすら目を閉じて呼吸だけしているひとになっちゃった。
瞑想いいよね。今やってることに集中するのは広い意味で瞑想だと思う。もりけん.icon
「イライラする」って感情が自分の中に溢れてきていやになる。反抗期か?
ひとにイラつくのはあんまり好きじゃない。でもコントロールできるものでもないしな…さらにそれをふつうに人にぶつけるようになってるからよくない。まあ、加減を考えます。
感情をコントロールするのって難しい。だからこそコントロールすることに努める姿勢が求められるのかなぁなんて思ったりするのだけど。指向性が大事。できなくてもやろうとする意思と行動が大事もりけん.icon
のこりは調子悪いからあとで書こ。
そろそろ、これを"日記じゃない"と言い張るのにも無理があるなあ。
最近これのことを間違って日記と呼んでしまう。やべ。
肌がひどい。掻きすぎて出血なう。乾燥肌とアトピー(?)とかあるし、汗かくとすぐ駄目になっちゃうのよね。全身を針で刺されたような痛みが走る。しぬ。肌とれる。なんか酷くなった気がする。ストレスか?
早く汗かかない冬が来ますよーに
お肌は水つけときゃ保湿される(されるか?)→されないようだ。もりけん.icon
水つけると乾いたときに余計乾燥します。保湿剤ぬるとかゆいです。お風呂にもそれは適用するので地獄です。
2022/07/28
11時に起きて、13時に外出した。
持ち物は、スマホ、五百円玉ひとつ、鍵、イヤホンケース、それだけにした。バッグはいらない。手とジーンズのポケットで十分だった。
ただひたすらゆっくり歩いて、写真を撮って、公園でちょっとだけ瞑想して…ってした。
からだの芯のところがひどく疲れた気がする。
世界をゆっくり味わう、なんてこと、随分長い間していなかったから。
いままでやたらめったら急いでいたのが、ひどくもったいないことだった気がしてきた。
作業服の二人組が、公園の樹の下の方の枝を落としていた。
えだは、傷つけられて落とされて掴まれてトラックにつまれて、ビニールシートを被せられて踏みつけられた。
ぼきぼき、命が折れる音がした。
葉っぱの青臭いにおいが鼻につく。
手元には、こっそり一枚だけ拾った葉がある。押し葉にしてみようと思う。
蝉の声が耳一杯。外出のときにいつもつけているイヤホンを外しているからだ。うるさい、けど、べつにいやではないかもしれない。
外さなくても良かったけれど、はずしたほうがいい気がした。
そろそろ帰らなければ。でも、その前に、ブランコに思いっきり乗っていこう。小学校一年生のときみたいに。
ぼくは、自己肯定感が低めなほうだとおもう。卑屈と傲慢が同居してるから違うかもしれないけど、とりあえずそういうことにしとく。
でも、自己肯定感はこれでもだいぶマシになったほうだ。
小学校六年生のころを思い出す。
あのとき、私がしていた恰好は本当にひどくて、それを自覚していて、でも、おしゃれな服を着たいと思っても、目の前にそれがあっても、自分なんかが着ていいのか、けなされるんじゃないか、白い目で見られるんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか...そう思って、着れなかった。
それがなくなったのは、中学一年生になって登校が私服ではなく制服になって、服装へのコンプレックスが薄れてからだった。
そうっと、少しだけかわいい服を着て、通行人におびえながら駅まで歩いて、4,5駅離れたところで、思いっきり大通りを歩いて...それを繰り返して、誰にも変な目で見られないことを知って、私でも”そのへんの普通のひと”になれる、って、すこしずつ、好きな服を着るのに抵抗がなくなっていった。
2022/07/27
創作方面の不調が治った感じがする。
…それは、大切だったひとが、いなくなってしまったから、なのだろう。
私は、地獄の底にいないと…何も創れないのだ。
幻聴とフラッシュバックがのなかで、ずっと、短歌とあーぷらについて考えている。
夏ですそう言う君の顔咲いた向日葵枯れればいいのに
破調かなあ?文字数確認してない。
28だった。足りないや。整えるのは後でしよう。
破調をつくるようになってから(五七五七七に拘らなくなってから)短歌を五行に改行せずに一列に置くようになってきた。いままで、転んでもただでは起きないなおこさんが一列に置いてるのを見て、なぜだろうと思っていたけれど、こっちのほうがしっくり来て見栄えがいいのか。
ちょっと自分の短歌が好きになってきた。これ、ダニングクルーガー効果ですね。もっとがんばらなくちゃ。
昨日は短歌10個ぐらい作ったなあ。すごい頑張った。自分偉い。
自分が戻ってきた感がある。
あーぷらを盛り上げるために何をすれば…と考えているけど、結局ぼくがまともな内容をたくさん書き込むのがいちばんいいんじゃないか?と思い始めてきた。雰囲気を作るとかじゃなくて、直で書き込みを増やせばそれはそれでちゃんと盛り上がってることになるし…
でも、どんな書き込みをすればいいのかわからない。
専門的な知識はまったくないから、SALONとかは触れないし…どうしても雑談系になっちゃうんだよな。仮にそれで盛り上がったとして、それこのサーバーの盛り上がり方としてどうなのか?
やっぱりTwitterとかから面白いニュース引っ張ってくるしかないのかな。でもTwitter見てるとメンタル削れるし…
最近は短歌関連の書き込みを増やしてる。と言っても廃墟の5号室のスレッド、「短歌製作所(蒼)」でやってるから、スレッドに参加してない人には見えないし意味ないんだけど…
むずかしい。
それと、最近はよく101に居るようにしている。たまにひとが入ってきてくれて、新規さんとかが来てくれたりもする。
案内はそんなにじょうずじゃないけど、どこに行けばいいかわからず迷ってるひとのたすけになって、あわよくばここに定着してくれたらなあ、と思う。
アクティブなひとを増やすのがいちばん盛り上がりやすい道なんだろう、と思ってる。
久しぶりにこんなたくさん書いたな。
2022/07/26
7月が終わりに近づいてゆく
ちょっとだけ、いつもの私に戻れた気がするなあ。
短歌二つつくったし、よかったよかった
…かと思ってたら短歌七つぐらいできてた。
あーぷらをより盛り上げるにはどうしたらいいだろう?と考えている。
2022/07/25
短歌
AIAI 生者の代わり、指組んで腐肉に膝折り「どうしてわたしが」
屍体に祈る役目も、いつかAIに変わるのかなあ、と。
胡散さんとたくさんおはなしできて嬉しかった。胡散さんほんと神。
文章を書き始めて、15年…らしい。
私がまだ生まれてもいない頃だ。
遠い、とおい。
追いつけない。
どうして?どうして、追いつけないの?
私の文章は濁ってださくて汚泥みたいなものなのに、
どうして、そんなに、あなたの文章は、宝石箱のように煌めくの?
それは、
書いてきた年月の差と、
生きてきた苦しみの差と、
努力の数の違いと、
祈りの重さの違い。
わかってるんだけどさ、
ほんとうに、いやになるぐらい、あなたは、私にとって眩しすぎる。
はやく、はやく、ぼくも、そこへ行きたい。行かなきゃいけない。
…創作コンプレックスがでちゃった。あーあ。
おはなしできて、楽しかったなあ。
トーチカさんともたくさんおはなしできた。声聴いてるとおちつくなあ。低めでめっちゃいい声。朗読聴きたいな。
短歌についてとか、いろいろおはなし聞けてよかった。たのしかった。
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…
なのにいまめちゃめちゃネガティブなんだけど…
VCにひとが来たりいなくなったりして、そのなかで、自分が駄目になってしまっていることに気がついた。ずっと、何もしない生活をしていたから、
発声もまともな思考も会話も全くできなくなっている。
ひどく幼いようなことしか言えなくて、それは甘えで、すこし辛辣だっただけで傷ついて…
わたしは、馬鹿になってしまったのだ。
まあ、とりあえず、夏休みの間はこのままで、明けて学校に行くようになったら良くなるでしょう。
いろいろ書いたけど、読んだ人がなんか考えてどうこう対応してほしいとかじゃなくて、純粋にふわふわ思考に浮かんでいるものをここに書いてるだけです。おこらないでください。
ねむいなあ、と思う。
恋愛関係がこじれているひととおはなししてたからかもしれないし、生活リズムのせいかもしれない。
2022/07/24
昨日、書き忘れたなあ。まあいいや。
自己紹介カフェ主催したけど
結局「レオさんと胡散さん最強じゃん…」でおわった。ラジオ体操のために朝6時半に起きてるから夜ふかしできなかったし…悔しい。
最近、くま子さんやレオさん、胡散さんやトーチカさんとじっくりおはなししたいなあ、と思うようになってきた。というか、いまは、すごいひととおしゃべりするのがいちばん成長に繋がる気がする。
でも、「この話をしたい!」っていうものはなくて、雑談をしたいだけ。
ただ、名指しで雑談を頼むのはなあ、と思うし…DMはなんか、必要な真面目な連絡しかとっちゃいけない感じがする。
たぶん、談話室とかではなせたとしても、面白い話いっぱい持ってるひとたちだから人がどんどん集まってきて、私喋れなくなっちゃうだろうし。
うーん、どうしよ。
2022/07/22
救いを
私は、いま、祈っている。なにを祈っているのか?わからない。誰に祈っているのか?わからない。そんなことは、重要じゃない。これは、祈りと言うのか?違うかもしれない。でも、それ以外にこの行為を表す言葉を私は持っていない。
私は、他者の祈りを、たくさんたくさん、飽きるほど見てきた。
手を組み祈る者、
涙を流し祈る者、
絵筆を振るい祈る者、
うたを歌い祈る者、
キーボードを叩いて祈る者、
ひとを慰め祈る者、
文字を声に出し祈る者、
モンスターに溺れ祈る者、
こんな人たちを、本当に、数え切れないほど…眺めてきた。
こどもも、おとなも、しきりになにかに向かって祈っている。
それは、ある一種の狂気。
そうやって祈って祈って祈り続けて、今この瞬間もそうしている人を、私は何人知っているのだろう。
…その中には、わたしも含まれている。
さっき挙げた祈る者たち、それはすべて私のことでもある。
くるしい、くるしい。救いは、どこに。祈りは、どこへ。
そうやって、もがいて、迷って、死にたくなって、死のうとして、死ねなくて、また祈って、ああ、そんな人間に、私はどうしようもなく惹かれてしまう。
私が愛すのは、そういうものだ。
そして、そういうもののために、私は祈っている。
無感傷人類の私ができること。
祈りのために祈ること。
それが、私にとっての救いなのだ。
そしてそれは、私が私として存在していられる支えでもある。
私は、そういう人がいないと、私が祈る理由がなくなってしまうと、きっと…壊れてしまう。
誰にも届かないなんの役にも立たない祈りだろうと、それをしているだけで私は自分を保っていられる。
私は弱い人だから。
祈る人たちは私にとって、どこか神聖なものに見える。
彼らからしたら、きっと地獄の底にいるような気分なのだろうが。
祈る人は、美しい。
思わず見とれてしまうぐらいに。
どうして?わからない。
ただ、キレイだ。きれいなんだ。
ああ、私はいつからこんなふうになってしまったのだろう?意味がわからない。どうして、こんなところにいるのだろう。みんなから遠く離れたここに、どうして、独りで…?
2022/07/21
ひさしぶりに熟睡していたら、夜中に同級生から「ちょっと死にそう」と連絡が来ていた。朝起きて、やばいな、と思って2,3件メッセージを送ってから外出できる服に着替えた。定期的にメッセージを送っていたのだが既読も返信もなかった。
10時になる少し前、その子の家へ行った。流石にもう起きているだろう。まさか、本当に死んだなんてことはないはず。
そう思ってインターホンをおすと、すぐにその子が出た。
「〇〇です。〇〇ちゃんはいますか?」
「あ、〇〇さん!今行くね!」
髪も結んでいないパジャマ姿で出てきたその子はとても元気そうだった。
ひとまず安心。
「ラインみた?」
「見てない」
「さっきここいるとき『わたし──さん、いまあなたの家の前にいるの』ってLINEしたのに見てなかったかw」
「え、マジ??見るわw」
「wwwwww ねえ、ちょっと公園いかない?あそこ。遊ぼうよ」
「いいよ!行こ!」
5分ぐらいで準備してくれたその子とくだらない話をしながら歩いた。
公園の日陰ベンチに座って、お互い話しながらスマホゲー厶やらなんやらをしていて、自然に学校の話になると、その子は語り始めた。
端的に言うと、人間関係のこと。
その子が私を信じて話してくれた信頼を裏切ることになる気がするので詳細言わないけれど、
その子の置かれている状況は、その子にとってはあまりにも辛く、残酷だった。
せっかく近くにいるのだから、私が解決してあげられたらどれほど良かったか。しかし、私には手出しができないところだった。
それと、その子は、絵をよく描いていたのだけれど、絵を描くのが楽しくなくなってきた、ともいった。
何をしても楽しくない、何をする気にもなれない、と。
鬱だよ、それ、危ないよ、病院行ったほうがいいよ、と言っても、病院だけは頑なに拒んだ。
親に言うのが、いやなんだと。
このまま、何もしないでいると、それは絶対に悪化する。でも、私はそれをただ見ていることしかできない。
その子が語り終えたあと、私はただ慰め、頭をそっと撫でた。
その後二人でブランコにのり、全力で漕いで、疲れたころに、
「喉乾いたね」
「そうだね」
と言って自販機を探した。ちょっと遠かった。
その子は急なことでお財布を持ってきていなかったので「なんでもいいよ」と僕が奢った。160円ぐらいだったし、飲み物ぐらいだったら後々めんどくさくなることもないだろう。
白ぶどうスカッシュを飲んでいるその子を見て、ああ、ちゃんと生きててくれてるんだな、と思いながらコーラを買った。よく冷えていて美味しかった。
それからまた11:30頃まで公園のベンチで普通の話をして、ときどき撫でて、送って帰った。
独りの帰り道、私はずっと、祈っていた。
私の存在が、彼女にとって、すこしでも救いになりますように。
つらいとき、メッセージを送ったら、すぐ会いに来てくれる、話を聞いてくれる、慰めてくれる、撫でてくれる。
いっしょに飲み物を飲んで、遊んで、はじけて…
短い間でも、そんな時間がほんのちょっとでも彼女を楽にしてくれたらいいな、と願う。
何もできない私が、なにかしてあげられたらいいな、と。
この祈りは届かない。何故なら私は神を信じていないからだ。
救いなんてものはない。
でも、でも、それでも私は祈るんだ。
自分にできることはもうやりきってしまったから。
祈って祈って、いつかあの子が笑えるように。大好きな絵を描けますように。
夏休み初日の午前中は、こうやって終わった。
2022/07/20
サムウェアノットヒアを読み終わった衝撃がひいてきたころ、小麻花をたべた。何気なくたべてたけど「そういやこういう感じの味付け日本で食べたことないな」って気づいた。こういうときは、在日中国人っていう環境に育って良かったな、とかすかにおもう。だって、そうじゃなかったら、この味も発見も私には無かったのだから。
そのせいでくるしくて、少し前までは感情の行き場を求めてがむしゃらに自分の生まれを呪ったけれど、たくさんたくさん思考を重ねて、脳みそも少しずつ年齢を重ねて、自分自身にできることも多くなって、ちょっとだけ一歩引いた視点でそのことを考えられるようになってきた気がする。
これが自分にとって本当に良い変化なのかは自信が持てないけれど。
あ、あと、周りの理解が進んできたのもそう考えられるようになった一つの理由だろう。
今でも同年代の中では「中国人」を馬鹿にする風潮は強くあるけれど、
流石に中国と北朝鮮の区別はつくようになってきたらしい。
少なくとも、北朝鮮が遠い国のどこかでなにかしたからといって、私が責められるようなことは減った。
2022/07/19
僕が鬱から回復すると、周りで病む人が3人ぐらい増えてる気がする。考えすぎ。
誰かに自分の影響を与えたいなあ、という思いが最近膨らんできている。たぶん、ぼくは寂しいのだろう。
2022/07/18
自分の正直な言葉が、ひとを容易に傷つけるナイフであることを忘れていた。
正直である、ということは、良いこととは限らない。
また、そんなことをぐるぐる考えるようになってきた。
いつもより思考が回る気がする。でも、何故か日記とか文章が書けない。
たぶん原因は暗い気分。
いや、たくさん書いてるけれど、あーぷらのーとに載せれない…
まあいいや。そのうちまた書けるようになるでしょう。眠い。
くま子.icon暗い気分の時しか創作できない人間が通ります🚶
今日はとても、いつもより、ひとと話したい気分だなあ、と思う。
なんだか、低音とお話したい。しかも、少し濁った低音が聴きたい。
この場合、濁った、とは汚れたという意味ではなく、単純に透明度のひくい声のこと。悪い意味ではない。
低温で、安心したい。
私の耳は低音すぎると聞き取れないのが少しくやしい。
それと同時に、澄んだアルトが聴きたいな、とも思う。
僕はイメージを音にすべて委ねているので、なにかが足りないときは、直感的に「こういう音が聴きたいな」と強く思う。
逆に、聴きたい音から自分の状態を考えることもできる。
濁った低音と、澄んだアルト。
僕は、安心と優しさを求めているのだと思う。
これに当てはまるひとを、私はあーぷらで何人か知っているけれど、101に入ってその人の来る僅かな可能性に賭ける気にはとてもなれないし、DMで声をかけても話してくれないだろう。
ああ、あの声と、その持ち主たちのことを考えると、どうしても苦しくなってしまう。
私は、声に恋をしているのだろう。
聴きたいな。聴けないな。
こんなことをぐるぐる考えて、寂しさだけが募っていく。
すてきなものを書きたい、と思う。文章を構成している言葉自体が、きらきらと輝くようなものを。
私はそういうものを書く人を何人か知っている。
小川洋子さんや、soさんや、胡散さんや、しまんさん…
この人たちの文章を見るたび、読むたび、私にははっきりと眼の前の文章が光って煌めいているのが感じられる。
それは眩しい、眩しすぎるような光ではない。
実際は、ほんの僅かな光なのだろう。でも、どこかに闇があり、それが少しの光を何倍にも輝かせている。
私はそのきらめきを前にするたび、激しい嫉妬と劣等感に苛まれ、死にたくなる。
なぜなら、私の書くものは何処か濁っていて、宙ぶらりんで、きらめきなんて、どこにも見当たらないからだ。
どんなにその光に手を伸ばしても、その光を創りたいと願っても、届かない。
私とは、違う次元にいるのだ。
そこに行きたい、私も、といくら強く思おうが、そこには覆しようのない圧倒的な差がある。
それは生きてきた年数の差なのか、人間としての強さの差なのか、今までの苦しみの差なのか、創作に賭けるものの差なのか。
それとも…生まれつき無感傷人類の私には、そんな煌めきなど創れないのだろうか。
文章を書き始めてニ年目になる。
まだまだ、足りない。
人に何かを感じさせる文章を書くには、とりあえず、数を創るしかない。努力するしかない。努力せずに書きたいなんて、傲慢でしかない。
そんなの、しってる。
ただ、くるしいのだ。
書いても、書いても、誰も彼も私の上にいる。
命を燃やすようにして書いても、それでも、他の人が創るようなものができない。
私の創るものはみな、何処かで見たような、ありふれたものばっかりだ。多分、最初の一文を検索にかけたら、一字一句と違わないものがでるんじゃないかな?
もがいて、もがいて、それで生み出したものさえ、すでに先達のいる残酷さ。
ああ、個性がほしい!
私だけの個性が!
煌めくような、輝くような、燃えるような個性が!
思考が、纏らない。
222/07/17
もうけっこうな時間電車に乗った。電車は、からだとは違うどこかよくわからないところが疲れる気がする。でも電車は好きだ。時間通りにぴったり動くから。安心する。いつも感じている、どんどん足元が崩れてばらばらになっていく感覚から逃れることができる。そして、あのひとといっしょに電車に乗ったことも想い出せる。知らない人の隣が苦手だ、と言ったら、なにもいわずにただ私が知らないひとの隣に座らずに済むようにしてくれて嬉しかったあの日を想い出すたびに、僕はいっしょに電車に乗る人を一番内側にして、その人が知らないひとと隣り合わずに済むようにしている。もし、ひとりでも、知らない人が苦手なひとが無理をしなくてすむように。
無題
このことを書くことが、ほんとうに正しいことかわからない。良くないことかもしれない。でも、書きたい。私はひどく混乱している。
今日、つい先程、ある人を、止めた。
何をとは言わないが、とにかく必死になって、一瞬でもその人がその考えをするのを逸らし、そうしないで、そうしないで、と言い続けた。
生きろとは言わなかった。ただ、それをしないでくれたらどうでも良かった。
私だって、いままで沢山の人に止めてもらって今ここにいる。いままで私を引き止めてくれた人もこんな気持ちだったのだろうか。
そう考えると、私はいままで、随分その差し伸べられた手を冷たく一方的にはねのけてきたなあ、と思う。
そして、私をいままで死なせずにいてくれた人たちと、今、生き延びてメッセージを返してくれたその人に感謝する。
ありがとう。
スケールの大きい話になるかもしれないが、いままでも、こうやって絶望した人たちの中で、命のバトンが隠れたところで脈々と繋がれていたんじゃないかとおもう。
それは世界の大半の人は気づかない知らないわからないことだろうし、苦しみの中でこのリレーのバトンを渡される前に消えてしまった人たちも沢山いるのだろう。
そのひとたちに、黙祷を捧げた。
命を、たとえたった一晩でものばすことができた。
よかった、…
2022/07/16
ある人から勧められて太宰治/姥捨を約一時間かけて朗読した。先に黙読せずに読んだから3万回ぐらい事故った。いや全部事故だからまとめて一回か。やばい。今日習い事あるから喉潰れたら困るのに。のどつらい。でも楽しかったし新しい作品をしれたのでオールオッケー。 「桜の樹の下には」を録音して一番最初に読んだやつと聴き比べた。明らかにテンションが違うし、声の出し方が違う。感情を乗せるのはちょっとうまくなったとおもう。最初はあまりにも平坦すぎた。
それと、意識すればだけれど、「ら」がちょっとずつ言えるようになってきたと思う。いままで「さくあのきのしたには〜」だったのが、ゆっくり意識して読めば「さくらのきのしたには〜」になってきている。うれしい。
読む声も変わった気がする。
ハイテンションを出すようになったので、めちゃめちゃ高くなってる。朗読始めてから声高くなった。ただ、ちょっと過剰だと思う。違和感がある。
あと、呼吸音が入るようになった。
いや、呼吸音を使うようになった。
大きく吸ったり、鋭く吸ったり、上手くはないけど、ひとつのツールとして使えるようになれそう。今のままだと過剰かも。
最近、同級生に「朗読うまくなったね!」と言われたり、「成長してる」と人にいってもらえたりするけど、自分ではそんな感じはしない。
変わった。間違いなく変わったけれど、上手くなった気はしないのだ。こっちはこっちでひどく不完全で、違和感まみれ。正直、この違和感を消し去る方法がぜんぜんわからない。
ただ、恐らくだけど、量なのかなあ、…
たぶん「桜の樹の下には」はずっと読み続けると思う。たぶん何十回も。たまに録音して、いつか成長を実感できる日が来ればいいと思う。
気になる点
「ん」をちゃんと落とせていない
読むのちょっと早い
安定感なくね?
ここで一拍置くべきなところに置けてない
もっと余裕をもって読んだほうがいい
ら行うまく読めていない
声が高すぎる場所がある(不自然なテンション上昇)
あーぷらのーと見ようとしてChrome開いたら大体Twitterなのでそれに20分ほど取られる。あーぷらのーとみて10分、それから再びTwitter20分。
あーぷらのーと見るのに50分かかるんだよな…
2022/07/15
たまに、「このまま寝たら消えてしまえるんじゃないか」というときがある。今がその時だ。もしもういちど目覚めたら、おはようございます。
あしたをむかえるために、自分が崩れないように、湿度とあめに溶ける体を抱きしめてあたためる。
はやくあつくなりますように。
おはようございます。
ふと思い浮かんだ「アットホームな宗教」の脳内イメージが頭から離れない。
神様が数人の信者と肩組んで笑ってる(なおいらすとやの絵柄)のがずっと思考の中にいる。面白いからちょっと静かにしてくれないかなあ…
起きたばっかりでなんか書こうと思ったら廃棄物ができた。かなしい。
もわもわした残り滓は私を見て目を細める。 口角上がってピエロの仮面に! 回って回ってうれしいふたり、濃くなる現実消えてく夢想
また夢を見た。ちゃんと夢日記のところに書いておいた。私の夢は、その夢を見た理由がめちゃめちゃわかりやすい。今日は承認欲求と僅かな支配欲、嫌悪だったとおもう。
あーぷらでのユーザーネームを変えたい。ふとそう思った。
「あおくん」「あおちゃん」も気に入ってるけど、なんか、もうちょっと可愛い名前がいいな。あと初対面だと「そうくん」って読まれたりするし。
まあ喋り方と噛みつき方が可愛くないから名前だけ可愛くしても意味ないんだけどね。
読み二文字はくんちゃん読みに適してるから、二文字のほうがいいと思ってるんだけどなあ…
「藍月」「亜麻」「雪」とかどうかな、って考えてる。あいつき、あま、ゆき。けどどれも「これだ!」って思えないから保留。なんかいい名前つけてくれないかな。
私が自分につける名前には「あ」が入っているものが多いと思う。
amaou、蒼、藍月、蒼井聡太(いろいろ変えたネット偽名)、etc…
理由は単純。言いやすくて響きが好きだから。
滑舌が悪くても言えるし、なんか、「あ」が入ってるだけでかわいくなる気がする。たぶんぼくだけ。
好きなひらがなっていう概念が強めにあるんだよな。はっきりした理由はなくとも感覚的に。 2022/07/14
ずっと"忘れる"ということをかんがえている。忘れるのなかでも、ひとをわすれる、ということについて。とても難しいこと。その人に一度でも依存したなら、なおさら。昨日閉じたはずのDMを、また開きたくなってしまった。
ひとを忘れる、というのはとてもこわいことだ。
苦しくはない。痛くもない。でも、いままで「このひとがいないと生きていけない」とまで思っていた人を忘れられるようになるということは、その人がいなくても生きていけるようになってしまった、ということ。
その前より、その人の存在が自分の中で重要ではなくなってしまう。
私がその人に持っていた気持ちが崩れて乾いて砂になって、それを載せていた両手の隙間からサラサラと零れていくような、そんな感覚に襲われる。
私は酷く不安になり焦り気持ちをもとの形に戻そうとするのだけれど、一度崩れてしまったそれは二度ともとに戻らない。
そして、それがすべて零れ落ちてしまったとき、…
私は完全にその人を忘れてしまう。
「サムウェア・ノットヒア~ここではないどこかへ~」と「春期限定いちごタルト事件」(両方紙の本)を入手。18日と22日に届くらしい。たのしみ。
Kindleだとちょっと安く買えたりするけど、わざと紙の本にした。
なんとなくだけれど、紙の本のほうが物語の世界に没入しやすい感じがするし、本が身の回りにいっぱいあるとそれだけで幸せになれるタイプだから実物があるととても良い。
それに、本を手にとって丁寧に似合う色のブックカバーをかけてあげると、本がほほえむ気がする。
ブックカバーは有隣堂の十枚セットで買えるやつ。
紙のブックカバーがたくさん安くかえるとこないかな。
ひとのデータ打ち込み作業を手伝った。原稿用紙2枚ちょっとぐらいだったのにけっこう時間かかっちゃった。こまめにキーボード触らないとだめだな。タイピング遅くなっちゃう。
文字の打ち込み作業は好きだ。文字を読み取ってそれをローマ字に変換し、キーボードにぶつける。それだけの機械でいられるからだ。コンビニ人間読み終わった影響が露骨に出ている。その間だけは希死念慮もなにもかもどこかへ行き、澄んだ気分になっている。
誰かまた打ち込みさせてくれないかなあ。紙媒体の文章撮って送ってくれたらwardかPDFにして送るのに(ガチ)。まあ紙で文章書いてる人が減ってるからいないかもしれないけれど。
打ち込み作業待ってます。
…どうして私の創るものはこんなに濁るんだろう?
濁った創作物を、私は好きになれない。愛してあげられない。
創った私でさえ愛してあげられない、ぐちゃぐちゃな文字の塊が可哀そうで可哀そうで。
彼らは誰にも愛されない。
せっかく生まれたのに、誰にも見られず、もしくはこっぴどくこき下ろされ、メモ帳の端っこやネットの海に放置されて泣いて消えゆく。
酷い。あまりにもひどい。
彼らみたいな粗悪な量産品、生み出さないほうが良かったのかもしれない。
そんなことを思う私に、彼ら彼女らは「どうして!!!」と泣いている。
ごめんね。
今話している人々がひどく遠くに感じられる。このひとたちは私と違う世界に生きている。当たり前のこと。でも、あまりにも距離がありすぎる。どうして、ぼくはこんなに共感しあえないのだろう。どうして、ぼくは"生きていない"のだろう。どうして僕は世界にふわふわ浮いて、みんなから何歩も離れているところからみんなを眺めているのだろう。
僕は平和を祈らない。いや、表面上や浅いところでは祈るが、深いところでは人間のぐちゃぐちゃがあることが当たり前だと思うし、なくなることはない。混沌がすきだ。理想を見るのは飽きた。
人間は、そこまで出来た動物ではない。
僕は人間を基本的に見下しているのかもしれない。そして、明らかに私より素晴らしく見下せない人間には嫉妬し、狂う。良くないなあと思うけど、私は人間に期待できなくなってしまったのだから現時点ではどうしようもない。
ぼくは、人間になりたい。
2022/07/13
ゆめが見れるといいな。
こわいゆめでもはいいろのゆめでもなんでもいいよ。
あ、うそ、現実の夢だけはいやだな。
ゆめのなかのぼくに聞くね。
きみはどんな夢をみているのかな。
あとでおしえてね。
まさか、現実の夢じゃないよね?
じゃあ、いつかの現実の夢を見ているきみに聞くね。
その夢の中では、ぼくは学校に行ってる?ネットに溺れてる?
「ああ、このひとはもう、ぼくをみてくれないのかも」なんて絶望してる?
いまこの瞬間のぼくはしてるけど。
現実のゆめって、そこまで再現されるのかな?
まあ、いいや。
願わくば、きみが──いっしゅんの間でも、幸せなゆめをみられますように。
0時04分のぼくより。
夢は見なかった。覚えていないだけかもしれない。でも、私が覚えていない夢を知っている人はこの世界にはいない。最初から最後まで誰も知らない。だったらそれは無かったことと一緒にしてもいいんじゃないか?
さて、私はCHILL OUTを飲んだので、イヤなことを一瞬でもかんがえなくてすむよう寝ます。おやすみなさい。
あの日々は、過去だ。ゆめだ。
ちょっと荷物を降ろして小休憩。
↑から今まで(23:35)寝てしまった。すやすやだった。妖怪ウォッチとあの人ととにわさんの夢を見た。私が必死に忘れようとしているあの人から夢の中で連絡が来た。喜んでしまった自分が悲しい。でも、だいじょうぶ。ねむれるってことは、いつかわすれられるってことだから。
2022/07/12
眠いけど寝ちゃいけないので文章を書く。私は文章を考えていると眠くなくなるのだ。多分寝て起きたら文章ぐちゃぐちゃすぎて絶句するだろうけど。まあいいや。
後でテンション上がって眠れないことを想定し冷蔵庫でCHILL OUTをちゃんと冷やしておく。冷えた飲み物のほうが好きなのだ。冷たすぎるぐらいがちょうどいい。てか家にいるときはぬるいものは基本的に飲まない。特に炭酸飲料は。
めちゃめちゃ熱い飲み物は好きだ。めちゃめちゃ冷たい飲み物は大好きだ。ぬるいものだけはダメなのである。
飲み物に限らず料理でもその傾向はある。
あ、料理といえば。
今年度、給食の栄養士さんが変わったっぽい。
なんというか、メニューの傾向が違うのだ。
例えば、スープの中身が変わった。具材もりもりで、以前よく出ていたすまし汁などはめったに出なくなった。なんというか…おかずに詰めれなかった栄養素をむりやりスープに突っ込んでる感じだ。
おかずは、なんとなく組み合わせが悪くなったと思う。ご飯の上に載せて食べるおかずが二品出たり、ナンの日にドライカレーではなくいつものおかずが出てナンにつけるものがなくなったり、もっちゃりしていて配膳しにくい(さらに味が無い)ポテトが出たり。量やばかった。
あちこち今までの給食とメニューの傾向か違うのだ。
去年のメニューが懐かしい。
まあ、そのときもなかなか狂気的だったが…エグい色のスパゲッティとか。
給食も、しっかりひとつひとつ考えてる人がいて、その人によってメニューはだいぶ変わるのだろう。
とりあえずぼくは具だくさんスープが苦手だ。
今日は学校に行って、昼休みに早退した。1時間目の社会は真面目に受けたが、一ヶ月近く社会に出ていなかったせいで地理をやっていたはずなのに歴史が始まり織田信長(好き)を逃して徳川家康まで来ていた。へこんだ。
2時間目は薬物乱用防止教室、
3時間目は国語。この前作った雨の短歌の中から一つ選んで記入して提出し、班のメンバーが私の知らないレポートを発表しだしたので短歌を作っていた。楽しい。授業後に国語の先生に持っていって気になるところを指摘してもらった。
最初
裏紙のインクにまみれたねずみ色私の短歌で汚れてゴミ箱
↓
裏紙はインクにまみれてねずみ色 ペンで右手で汚してぐしゃり。
↓
ねずみ色 インクにまみれた裏紙を ペンで右手で汚してぐしゃり。
↓
???
だいぶ変わった。
いちばん最初のところで先生からもらった指摘は、
短歌の中に「短歌」というワードを出すのは微妙
「ゴミ箱」は直接的すぎる。
のふたつ。
七七、特に「ペンで右手で」と「ぐしゃり」を捻り出すのに、休み時間になかなか暴れました。
「う"あ"あ"あ"あ"出てこねぇぇぇ!!!!!!」(椅子に座って足バタバタ絶叫)
後ろの席の子、怖かっただろうな。ごめんね。
脳から、いちばんいいと思える言葉を必死に絞り出そうとする苦しみを初めて味わった気がする。苦しすぎて死ぬかと思った。あそこで「ぐしゃり」という擬音を使うことをひらめいた自分を褒めてあげたい。
国語の先生に感謝。
四時間目、理科もずっと短歌を作っていた。細胞の話をしていたが、そういう話聞いてると気持ち悪くなってあちこち肌掻きむしっちゃうので耳から閉め出していた。うう、教科書の挿絵思い出すだけで吐き気が…
一応科学部で、鶏の頭の解剖は平気なくせにこういうのだめなのよくわからない。四時間目は短歌をふたつつくった。
友達からのお題「推し」
ペンライト 振っても振っても見ないのね きみが好きなの、だから刺されて
(お題無し)
四時間目 濁った窓のその向こう 蛍光色のビブスが踊る
人以外のものの動きを「踊る」って表現するの好きなんだよな。ちょっと頻繁に使いすぎ感はある。
基本的に、ふわふわ思考してると七文字で思い浮かぶ。そのうちの気に入ったのがだいたい結句にぴったりで、とりあえずそこに置いて考え始める。私は七が得意みたい。だから五が薄っぺらかったり孤立したり意味がなかったりする。
私はどんな文章でも脳内で考えるときのリズムを重視するので、短歌だと区切り方が五/七五/七七になりがち。七の部分は案外八になっても六になってもリズムを保てるが、五が六になると崩れる。頭の中でリズムよく読み上げられない。ちなみにここのリズムをどれだけ整えたところで、他の人に読まれるときには無視される。
そもそも短歌には「破調」があるのだからこんなこといつまでも気にしても仕方ないのだが…まあ、短歌に慣れるまで自分から破調は作らないだろう。むずい。
しばらくは自分の中のリズム、テンポ感に従ってもいいんじゃないかな?
↑字足らずと字余りしかしない人
最近やたら短歌や創作が捗ると思ったらたくさん本読んだおかげか。インプットしたあとは何らかの形でアウトプットしたくなる。
読んだ本
「琥珀のまたたき」
「密やかな結晶」
「人間失格」
「今日のハチミツあしたの私」
「コンビニ人間」(半分ぐらい)
2022/07/11
少しでも運動しなきゃなあ、と思い外を散歩したのだが、その時は午後2時、殆どの学生は学校にいる時間。
歩いてゆくと、明らかに(年齢的に)学生の私に近所の人の視線が私に刺さる。
私は、この道路の上では少数派なのだ、と思い知らされた。
帰ってきた頃には汗びっしょりになっていたが、それが暑さのせいか緊張のせいなのかはわからなかった。
2022/07/10
今日は自転車で図書館に行こうとした。そう、行こうとした。しかし、スマホを忘れ、日焼け止めを塗り忘れ、ふらふらした頭で道を間違え帰宅した。散々である。原因はひとつだ。徹夜。そう、徹夜のせいで注意力が低下していたせいで、こんなにもひどい結果になったのだ。そして、眠るのが下手すぎて睡眠時間が確保できない私の家の冷蔵庫には、今日CHILL OUTが三本出現することとなった。
まあ、イヤなことばかりではなかったけれど。
猛スピードで私を追い越していった自転車立ち漕ぎおじさんが妙にかっこよかったり、誰もいない歩道で自転車を漕いでいた女性と自転車の通る青いとこ(車道にあるやつ)を走っていた私とで抜きつ抜かれつの競争をしたこと(相手がそう思っていたかは知らない)(たぶん危ない)など。
2022/07/08
書くものがない。なぜなら、ここ最近薄っぺらい変わりのない日常しか過ごしていないからだ。とにかく何かをしたい。なので月曜日から学校に行こう、と決めた。
今日は同級生からチェーンメールが届いた。もしやチェーンメールというものを知らずに回しているのでは…??と思い聞いたところ、どうやらクラス中に冗談として出回っているらしい。流石にそれくらいの知識は誰でもあるか。それから一時間ほど雑談していたのだが、最終的に「世界よ滅びろ」「頭冷やしてこい」で終わった。なぜ…
違うんです。話の流れでそうなっちゃっただけなんです。普段はそんな過激なこと思ってないんです…
ただ、たまに、同級生や周りの人たち(こどもたち)を見ていると思う。
みんなみんな、心病んでんじゃん。度合いは違えども、私も含めて、本当にみんな。
私たち、大人になれるのかな。大人になったところで、病んだ人間が社会を作って、どうなるの?社会は、国は、人間は、壊れちゃうんじゃないの?
もしかしたら、私達が老衰を迎える前に、世界はどんどんおかしくなって、何もかも滅びて、私たちがいつか生むかもしれない子どもたちが、この世に生まれた最後の命になるんじゃないかな?
私たちはいつか、この目で世界の終焉を見守ることになるんじゃないかな?
どうしようもなく、そんなことを思ってしまう。
そうなる確率は、きっと低いんだろうけど、ゼロなわけじゃない。
それが怖いわけじゃないんだけどね。
少しずつ、少しずつ、何かが、壊れてゆく。
きっと明日は、また何かが。
それはそうと、今日もTKGが美味しい。
↓創作↓
code:大丈夫
ねぇ、君は今、何してる?
きっと、万年筆を大事に握って、原稿用紙を必死に輝かせようとしてるんだよね。
ねぇ、こっちは何してると思う?
キーボードを意味もなくカチャカチャして、広告まみれの安っぽいゲームして、話しかけても返って来なくて、
あ、やっぱり、最後のは別にどうでもいいんだけどね。
ねぇ、君の声がぱたりと聞こえなくなると、wi-fiとマイクと音量、何回も何回も確認するの。でも、なんにも異常なんてないの。
だから、ただ喋ってないだけなんだ、って気づいてやめるんだけど、
それから通話越しに流れてくるかすかなノイズと、いやに響く耳鳴りと、頭蓋骨の中の誰かの叫びが共鳴して、気が狂いそうになるの。
機械熱がゆっくり身体を侵していって、ぼーっとしてくる。
いつもは世界の情報の波にぎりぎりで耐えてる脳みそが、止まらない思考と雑音にパンクしてる。
もしかしたら発熱しているのかも。昔から、あんまり情報量が多いと発熱するタイプだったから。
頭を使いすぎたのかな。脳が爆発するんじゃないかと思うくらい、頭が痛い。いまも。
ああ、もう、やだ...
でも、仕方ないの。耐えるしかないの。
私は、それをするあなたを止めないから。止められないから。止める権利なんてないから。
ねぇ、だからさ。邪魔なんて、しないから。
明日も私と通話してよ。
それまで、私が生きてるかどうかわからないけれど。
読部で他の人が読んだ本は買いがちだ。
眠り
眠りに落ちる直前?にこれを書いている。ねむい。くらくらする。お腹すいた。
眠気には種類がある。
心地いい眠気や、純粋に睡眠を追い求めるだけの眠気や、もやもやした眠気。
今のは3番目。
創作が進むのは一番目の眠気なのに…
しかしどれを引くかは結構ランダムなのでどうしようもない。 おやすみなさい。
2022/07/06
気温
今日は過ごしやすい気温だった。まあ、昼間は寝ていたのだが。
このまえの暑さがウソみたい。
ただ、これからまたあんな暑さになるのだろう。
夏が、来る。
夏はあまり好きではないが、アイスが美味しいからいいや、と思う。
文章
今日はあんまり長い文章がかけない。
目がしっかり覚めているからなのかな。
眠くて疲れて意識が朦朧としている時のほうがたくさんいい感じの文章がかける理不尽。
このページ遡ってその長さにぎょっとした。
頑張ったなあ。
最近はとにかくいっぱい文章書いたり読んだりしたい気分。
たとえどんな駄文だろうが書いてる最中は楽しい。
やっぱり…文章の練習でいちばん良いのはただひたすらたくさん読んで書くことだと思うんです。
いつか、kluftroseさんの日記みたいな素敵な文章が書きたい。
いつか、いつか。
"いつか"なんて甘えで、そんなことを思っているかぎり、その日は来ないのかもしれないけど。
でも、だれかに昔いわれたこと。
「いつか、というのは、どこかで来るから、いつか、と言うんだと思います。」
だから、私は、俺は、その日を待ち望んで、文章を書き続けると思う。
最近スケール大きめな話しかしてないな。
でも、いいよね?
👍ありがとう。勇気が出ます。kluftrose.icon
詩的な表現
私は(おそらく)よく詩的な表現を使う。
初めてあった大人には大体、「すてきな表現を使うね」と言われるし、
「詩的すぎてよくわからない」とも言われやすい。
ただ、自分ではこれはぜんぜんわからない。
なぜなら、自分では、伝えたいことがいちばんよく表されるように言葉を組み合わせているだけだからである。
詩的な表現とそれ以外の言葉の違いが私の中に無いのだ。
みんなが不思議だ、というものが私の中での普通。
このズレは、どこから来たのだろう。
読書量?本の種類?それともかなりのことばを本から得たこと?家庭環境?生まれ持った感性?第一言語?幼少期の過ごし方?
わからない。
2022/07/05
…日記では?
でも日記にしちゃうと、その日のことを書かなきゃいけないしなぁ。
今日はたくさん朗読をした。たくさんと言っても、合わせて1時間にも満たないだろうけど。
読んだのは、「琥珀のまたたき/小川洋子」。soさんが朗読した「密やかな結晶/小川洋子」を聞いてから、ずっと小川洋子さんのことが気になっていてついに本を買ってしまった。
最初の1ページを読んで、分かった。この本が好きだ。うまく言い表わせないが、なんとなく、文章が柔らかい。いや、柔らかいというより、優しい。
初めて、心から朗読したいと思った物語だった。
この物語を編んでいるすべての言葉が優しく煌めいている。
それは紛れもなく、私がずっと欲していたものだった。
私は、さほど意識せずとも、読むうちにごく自然に物語の世界へ潜り込んでいくことができた。
決して楽しい世界ではなかったのに、その世界は私を温かく包んだ。
そう、その世界には間違いなく温もりが存在した。
そして、めくるべきページがなくなり、静かにその本を閉じた瞬間、その温もりは僅かな余韻を残し、去って行ってしまった。
止めようとしても無駄だというのは知っていた。
余韻すらも消え失せ、さっきまで、"琥珀"─語り手の名前─になりきっていた心が、完全に自分自身を取り戻すのを待ってから、私はできる限り、ゆっくり、丁寧に、その物語を音に変えていった。
その時は、ほんの最初、ちょっとだけしか読まなかったが、それから朗読室で、何度も読んだ。
少しずつ、少しずつ、物語は進んでいった。
ちっともうまい朗読ではなかったけど、録音して、聞いて、を繰り返した。
まだ、1/10も読めていない。
いつしか、すべての物語が私の声になる日は来るのだろうか。
この本との出会いを感謝する。
私は明日も朗読をする。
ひとがリアルタイムであーぷらノートを書いているのを見るとうれしくなる。
この人の脳内で、"今" 文章が考えられていて、それを知ることができるのがたまらなく嬉しい。
これから、その人が感じたことや知ったことが、一体どんな表現でそこに現れるのか。
わくわくする。
短歌
今日は午前中に久しぶりに雨が降ったので、友人から「雨について短歌作って」と言われた。
作ったはいいが、微妙な出来だ。
作って、って言った人に微妙な顔された。
供養
ひさしぶり、ちょっとだけきみにさわらせて。冷たい雫で僕を癒して
6月の快晴に届く雨乞いを 枯れた紫陽花弔う涙
戻らない 水を吸おうとも腐るだけ萎びた紫陽花 雨よ枯れろよ
泣かないで。疲れたんでしょ?もういいよ 涙に渇いて地球よ滅びろ
う〜ん、基本的に雨に殺意しかないんだよな。
あと単純に僕の思い描いてる世界が伝わらないのか。
どうやったら良くなるだろう、と考えているとそのうち「短歌って……なに?????」ってとこにたどり着く。短歌ぜんぜん知らないのにつくっていいの?怒られない?
ひとの作ったのをいっぱい見てみようかな。
ななし.iconえ、短歌うまくね????
あおちゃんの雨に対しての感情が強く現れていてすごくいいです。このまま続けたら私の歳になったときにどんなBIGな存在になるのか楽しみすぎます
また作ってね
蒼.iconありがとうございます!!!つくる!!!(モチベ獲得)
サムネ
サムネは必要?
なんか綺麗な画像置きたいけど、置くとパッと見(ホーム??みたいなとこで)文章見えなくなっちゃうんだよな。綺麗な画像と文章、どっちが見てもらえるんだろう?(印象の話)
文章にしたら即、綺麗な画像の方だな、って気づいたけど、それでぽちっと見てくれたとしてもこの長文読んでくれるのか?
ただ、最初の方の文章表示されたところで、文章自体おもしろくないんだよな。
まぁ、しばらくはないままでいいかな。
だれにも見てもらえなくても、コメント残してくれなくても、"見られている!"って思い込めればいいんだ。
嫉妬
最近、ひとに嫉妬しすぎてつらい。やめたい。
でも、どうしても、他の人の創作が眩しすぎて、妬まずにはいられない。
努力せずに、苦しまずにいいものを創ろうとかなめてんじゃねぇの?と自分に思う。
自己肯定感が高くなれば嫉妬はやめられるのかな?
でも嫉妬すると自己肯定感が下がるんだよな…
なにか、"私にしかないもの"がほしい。
私にしか書けない文章、
私にしか作れない短歌、
私にしかない感情。
なにもない。なにもない。
私にかけるものは、大抵他の人にもかける。ヤバい。
くま子.icon蒼ちゃんがDiscordの短歌俳句chに投稿した3つ目と4つ目は普通に嫉妬ものでしたよ。本当にイイ作品だと思う。書くの恥ずかしかったからあの場では書かなかったけど笑
蒼.iconありがとうございます…(沁みて泣いてる)
たぶん、どれだけ辛くても、小説や文章を書くのはやめられないと思う。
短歌はとりあえず百首作るまではやめない。百首作ってどうしようもないと思ったら休むかもしれない。
がんばる。
いつか胸を張って、「私の創ったこれは最高の作品です」って言える日を夢見る。
ちょっと前にこんな気分になったとき、Twitterに載せた短歌置いとく。
こんなもんとっくにあるよ、同じのが 一字一句と違わないやつ。
リアルタイムほんと良い
リアルタイムで誰かが見てくれてる!!!と思うと何故かメンタルが回復してくるし書く気力が湧いてくる。
あれ、アープラノートめちゃめちゃ良いのでは?
どんどん沼に沈んでいく気がする。
しばらくは抜け出せないだろう。
このページ
ひたすら脳内のあれこれを並べていく感じは私にあっていたようだ。これなら続けられそうだ、と思った。。
日記も部誌もかけないけれど、これはかける。楽しい。ただ、読みづらくないか?という問題はある。まぁいいや。
私の心
心って、なんだろう。
あぁ、脳の機能のひとつとかそういう話じゃないの。
もうちょっと、夢のある話。
いや、ちょっと暗い話かも?
心が無い、とよく言われるんだ。
絵を見ても花を見ても、何も感じない、ということがよくある。
自分の感情がどんな名前なのかわからないことがよくある。
たとえば、痛みがあるのはわかるけど、ズキズキかピリピリかわからない、言い表せない、という状態だ。
心が無いわけじゃない、とは思う。
でも、他の人よりちょっと鈍いんじゃないか、薄いんじゃないか、とは思う。
でも、それも間違っている。
苦しみや悲しみ、嫉妬は、異常なほどに鮮やかに感じられるからだ。
心が無いなら、鈍いなら、薄いなら。そんなのを感じるわけがない。
だから、確かにあるはずなのだ。
でも、わからない。
私の心はひどく混乱してしまっていて、一時間前はふつうだったのに、今はやたら悲しくて、十分後にはふわふわしている。
わからない。
保留。
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